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2011年3月28日 (月)

福島県民の心

先週の金曜、3月25日に東北道の通行禁止区間が解除されたので なかなか行けずにいた福島へ土曜の午後に出かけてみました。とらぱぱ、私、駿、3ワンで。

心配してたガソリンも金曜には無事に満タンに入れられました。

東北道の前に常磐道がいわき中央まで通行できるようになったので そっち経由で福島市、郡山市へこの土日で回ろうと思ってたんですけどね。 やはり東北道の方が 我が家にとっては便利だった。

行きのガソリンはなんとかなっても 帰りに入れられるかが心配だったけど なんとかなるべ!的な考えで行き、実際、ちょっと前の関東と同様、休業中のGSばかりで途方にくれたけど とらぱぱ父の鶴の一声で なんとか調達に成功。

でも本来なら ガソリンの携行缶に20Lくらい入れて持ってくべきなんですって。後から調べて大反省です・・・。現地の方々を優先しなければならない・・・。今さらですが、ごめんなさい・・・です・・・。

放射能の影響で いまやすっかりバイキン扱いのような福島県に行ったのは ほかならぬ私ども夫婦の両親の顔をみるため。あの大地震後、電話では声を聞いていたけど やっぱり顔を見て安心したかった。

とら家の両方の実家に立ち寄り、私の母もとらぱぱの両親も肉体的健康面では 持病はあるものの元気にしていてくれてました。

ただ・・・

精神的な健康については やはり元気とは言えないものがありました・・・。

放射能汚染の不安は 何をどうやったって拭いきれるものではなく 確かに福島原発から60Km離れてるとはいえ それは何の慰めにもならず・・・。

60Km 離れてる地域でこうならば それよりもっと近い区域の人たちの不安は計り知れるものではないと実感しました。

小さな子どもを抱える友人の言葉には 子供達の将来に関する不安がちりばめられてるのが痛いほどよくわかりました。

その友人は私たちの顔を見るなり 開口一番、

「何しに来てんだい??被ばくしにきちゃダメだぞい!早く埼玉に帰んなよ!」

という冗談のような口ぶりで笑わせてくれたけど その笑顔の裏に大きな不安が渦を巻いてる事を 彼の小学校からの幼馴染であるとらぱぱが見抜けぬはずがないよね・・・。

「ここ福島の被災地は津波の被害の他に 原発事故がある。すでにあの地区の復興は見込みあるとは思えない。これ以上事故の終息が長引けば 放射能汚染の広がりがどうなるのかなんて想像もつかない。福島県は国から見捨てられるのか・・・」

という不安でいっぱいの福島県民。(これは友人が話してくれた本音です)

その不安を拭ってくれる答えを国は出せるのだろうか・・・。

福島県民は疲れ切ってます。傷ついてます・・・。

物流もまだ復活していなかった・・・。

コンビニの商品棚は文房具や単行本以外、何もなかったし 市内のお店屋さんは地震後2週間経つというのに 店内を覗いても物が散乱したままの状態で閉店。いつ再開するのかなどの張り紙もいっさいなく、閉店してる旨の張り紙すらなかった。関東も同じような被害があったショップはあったと思うけど すでに店内は片付けられ営業も再開してますよね?それが 郡山はいまだに地震当時のままだったんです・・・。

町にはガソリンスタンド周辺にだけ車が溢れ、それ以外は閑散としたものでした。

スーパーは徐々に営業を始めたようで 食品はいくらかか手に入るようではありましたが なにせガソリンが手に入らないので 交通手段がほぼ車という地方都市には致命傷です。

これ、地震の被害の比較的少ない郡山や福島市の事ですよ。もっと原発に近い地域はどれだけ悪い状況かなんて 安易に想像がつきますよね・・・

関東も同じような状態の時期があったけど すでに生活のレベルは地震前のそれと変わらないところまで回復してますよね?なぜ回復が遅いんだ?

物流が回復してないのだそうです。

福島への配送を嫌い 断られるからという事のようでした。

通行止めが解除された東北道も 地割れや路肩が崩れた後が 福島県に入ったあたりから無数にありました。

それを急ピッチで工事したようで 凸凹が激しく うちのような乗車空間より積載空間が広い車(要するにクッションが悪い車)は 工事跡に上がるたびにジャンプしてました。これじゃスピード出せないね と規制通りの80キロでの走行に徹しました。

東北道を走る車の中に何台も何台ものトラックに「救援物資輸送中」の文字が・・・。

自衛隊の車両も「災害支援」のプレートをつけてたくさん走ってました。福岡からきた自衛隊のマイクロバスもいましたよ。

その他に目立ったのが 車の中にあらゆる生活用品を詰め込んだ一般車。ナンバーを見るとほとんどが福島やいわきナンバー・・・

一旦避難した方々が 自宅に戻ってるようでした・・・。避難所生活も長くなると 行き詰まってくるのでしょう・・・。

前出の友人の話の中に 宇都宮に避難した友人家族が結局戻って来たというのがあって 避難先で被災地への募金活動していたボランティアさんに 

「募金、お願いします!!」

と言われ、困ってしまった というエピソードも・・・。

帰りの東北道では 被災地からの帰り道らしい車もたくさんいました。ガス欠で動かなくなってしまったような車も停まっていました。

ある意味、異様な光景でもあったけど 貴重な経験でもありました。

東京電力の原発事故の対応については 私も素人ながら思う事はたくさんあります。

国、政府の対応についても 原発を福島県に誘致した頃の政治についても そしてその関係者の今の立場についても 不審に思うことだらけです。

先週の金曜、ちょっとした用で立ち寄ったさいたまスーパーアリーナは 避難民とボランティアさんでいっぱいでした。胸がいっぱいになりました。

福島県民の心は傷ついています。とてもとても大きく傷ついています。

世界的規模での救済が必要だと思われます。

以上、私が福島に行って感じた事の一部を書いてみました。

コメント欄は 閉じさせていただきますね。

どうにかして乗り越えよう。立ち直ろう。すでに頑張っている人たちには 「頑張ろう」は酷な気もしています・・・。

《目に見えぬ敵》と闘うには どれだけのエネルギーが必要なのか・・・

でも 乗り越えよう!!とにかく 乗り越えよう・・・。

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